面白いことは書けませんが、一日一枚くらい描いていきたいです。更新は夜11時頃。
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地理の課題で
「何か調べてレポートにまとめなさい。後の授業で発表会やります」
ってのがあって、トルコのエルトゥールル号遭難事件について調べてみました。
(料理好きな友人がトルコ料理をとりあげていて、それでトルコに興味を持った)
トルコについて調べてたら、日本人な私は全く知らなかったんですが、
トルコってすごく親日国だそうです。
どの資料を見ても、トルコが親日な理由の第一に
「エルトゥールル号遭難事件」をとりあげてました。
後々発表するということで、紙芝居でまとめてみました。
誇張してたり調べ不足なところが多いと思います。
絵の具ケチったので出来は良くないです。
あと真面目につくったので面白くないです。
なんで載せるのかと聞かれても困るけど、まぁ、アレだ、
せっかく一日半かけて描いたんだからと思って…
「何か調べてレポートにまとめなさい。後の授業で発表会やります」
ってのがあって、トルコのエルトゥールル号遭難事件について調べてみました。
(料理好きな友人がトルコ料理をとりあげていて、それでトルコに興味を持った)
トルコについて調べてたら、日本人な私は全く知らなかったんですが、
トルコってすごく親日国だそうです。
どの資料を見ても、トルコが親日な理由の第一に
「エルトゥールル号遭難事件」をとりあげてました。
後々発表するということで、紙芝居でまとめてみました。
誇張してたり調べ不足なところが多いと思います。
絵の具ケチったので出来は良くないです。
あと真面目につくったので面白くないです。
なんで載せるのかと聞かれても困るけど、まぁ、アレだ、
せっかく一日半かけて描いたんだからと思って…
1890年6月、トルコからエルトゥールル号がやってきました。
日本の皇族のイスタンブール訪問に応えるのと、
訓練不足の海軍の練習航海が目的でした。
しかし11か月かけて日本にやってきたエルトゥールル号は、
船の老朽化や物資不足、資金不足、
加えて多くの上院がコレラに見舞われたことから、
なかなか日本を出ることができませんでした。
到着から3ヶ月後の9月、エルトゥールル号はようやく出港のめどをつけました。
しかし日本からイスタンブールへの長い航海。
エルトゥールル号の老朽ぶりを見た日本側は、
台風の時期をやり過ごすように勧めました。
しかしそれを振り切り、エルトゥールル号は帰路につきました。
このような無理をした裏には、オスマン帝国が、
海軍の弱体化ぶりが他の国に伝わることを恐れたためでした。
遭難事件は、このとき起こりました。
1890年9月16日夜、エルトゥールル号は台風による強風にあおられ、
岩に衝突、水蒸気爆発を起こして沈没しました。
これにより、587名が死亡、または行方不明になる大惨事となりました。
このとき、樫野崎灯台の下に流れ着いた生存者が、
数十メートルの崖を這いのぼって、灯台に遭難を知らせました。
灯台からの通報を受けた大島村の人たちは、
総出で救助と生存者の介抱にあたりました。
住民たちは、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、
卵やサツマイモ、衣類、それに非常用のニワトリすら与え、
生存者たちの回復に努めました。
この結果、69名が助かりました。
生存者たちは1890年10月5日、日本を出港、
翌年1891年1月2日に、無事イスタンブールに送り届けられました。
トルコでは、新聞を通じて大島村の人たちによる救助活動や、
日本政府の援助が伝えられ、当時のトルコの人々は、
日本と日本人に対して好印象を抱いたそうです。
その後も長く親日感情を抱いているトルコに対して、
日本ではエルトゥールル号遭難事件のことはあまり記憶されていませんでした。
しかしエルトゥールル号の遭難から95年後、
この事件が取り上げられる出来事がありました。
1980年のイラン・イラク戦争で、イラクが
「イラン上空を飛ぶ航空機を無差別攻撃する」と宣言しました。
イランに取り残された日本人は、自衛隊の救助を受けられなかったうえ、
日本航空組合の反対により、日本航空機による救援も受けられませんでした。
日本に帰りたいのに帰れない日本人で、空港はパニックです。
イランの日本大使館が、トルコ大使館に、このことを伝えると、
トルコ大使館のビルレル大使はこう言いました。
「わかりました。本国に求め、救援機を派遣させましょう。
トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。
恩返しをさせていただきましょう。」
ビルレル大使の要請を受け、トルコ航空機が派遣されました。
これによって、イランに取り残された日本人215名全員が救出され、
無事、トルコ経由で帰国することができました。
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